ムゲン スロット

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 7月10日

ドイツ連邦(を代表するプロシア王国)とデンマーク王国との間で休戦が発効し、一時的な平和が訪れますがこれは両者とも不満が残る不完全な平和で、SH軍も保持されました

イギリスとロシアの介入で、先のマルメ協定で話し合われていた完全な和平についても話し合われますが、各国(ロシアにも利害がありました)の思惑により交渉は困難を極め、結局ドイツ連邦とデンマーク王国との間で「全てを留保する」(=1848年の状態維持)ことで決着し、1850年7月2日、ベルリンで講和条約が結ばれました

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 独軍が去った後もシュレスヴィヒ=ホルシュタインのドイツ人たちは臨時政府を解散せず、50年4月にプロシア陸軍の予備役だったカール・ヴィルヘルム・フォン・ヴィリゼン将軍を総指揮官に招き、ドイツ連邦が完全に抜けた後も戦闘を続行します(ドイツ連邦からは義勇兵も多数参加しました)

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 この戦争「最終フェーズ」では1850年7月24日と25日にシュレスヴィヒ市の北9キロのイトシュテットでこの戦争最大の会戦(デンマーク史上でも最大の陸戦です)が発生し、これはSH軍が26,800名、デンマーク軍(ゲルハルト・クリストフ・フォン・クロッグ将軍指揮)が37,500名と軍団規模同士の衝突となります

 戦いは24日の早朝、デンマーク軍の前衛がSH軍の前哨と遭遇したことから始まり、この日は前哨同士の戦いとなってデンマーク軍がSH軍をシュレスヴィヒ方面へ押し戻す形で終わります

この夜、デンマーク軍は本隊を前進させ、これはSH軍との間で本格的な夜戦に発展しました

 戦いは正に一進一退でかなり激しいものとなりましたが、デンマーク有利は変わらず、SH軍はじりじりと後退します

 25日の早朝

天気は急変し濃い霧と雨の中戦闘は続きました

午前7時頃、反撃に出たSH軍はデンマーク軍を押し戻すことに成功、この時、戦争緒戦から戦い続けていたフレデリク・アドルフ・シュレッペグレル少将が戦死してしまいます

イトシュテットの戦い~突撃するシュレッペグレル将軍 SH軍は一旦失っていたイトシュテットの部落を奪還しようと猛攻を続け、デンマーク軍も白兵で応えました

一軒一軒を争う戦闘はおよそ30分間、ここでデンマーク軍が優勢となりSH軍はシュレスヴィヒ市に向かって退却しました

デンマーク軍は追撃しようとしましたが、SH軍の分派されていた部隊が西側から戻って来たため、デンマーク軍は辛くもSH軍の側面攻撃をかわして戦闘は一時膠着します

 その後正午頃に態勢を整えたデンマーク軍の総攻撃が始まり、今度はSH軍も退却を始めてデンマーク軍はシュレスヴィヒ市を占領、会戦は終了しました

 丸二日に及ぶ長い会戦ではデンマーク軍が534名の戦死・2,274名の負傷を記録し、SH軍は845名の戦死、2,770名の負傷又は捕虜を記録しています

 この戦いに勝利したデンマーク軍でしたがシュレッペグレル将軍始めとする有能な指揮官の多くを失い、またSH軍より多数の死傷者を出したことで手放しでは喜べなくなりました